那智・勝浦・高野山   
 日程  高野山・熊野世界遺産めぐり 2日間:H26年9月下旬
クラブツーリズムの旅行に参加した。
1日:新大阪駅~勝浦・ホテル浦島
第2日:那智の大滝、那智大社・熊野大社高野山・奥の院
 
 第1日  新大阪へ待ち合わせの1時間前に着:
近くで昼食
くろしお13号#4号車 に乗車。
添乗員に従って、駅構内を34人がぞろぞろ・・・
#12ホームで整列 。
列車旅行は16:42に紀伊勝浦着。
駅前から渡船場まで歩く。
ホテル浦島はどこかな?かなり沖合まで乗るのかな?
と思いきや・・・湾の対岸に見える大型ホテルに向かった。
10分程度でホテルの船着場に到着。

 南紀勝浦温泉 宿泊
http://www.hotelurashima.co.jp/

直ぐに案内係の人が館内の地理を説明してくれた。
館内が広いので目的地に行く道標の見方を説明してくれた。
部屋までも相当長い距離を歩くことになる。
荷物を置いて早速家内は玄武洞のお風呂に向かった。
私は館内の探索で磯の湯・忘帰洞などの所在を確認した。
夕食にはまだ時間があったので磯の湯に入った。
夕食は日昇館のサンライズでバイキング。
6:30からマグロの解体ショウが有るとの事だったので
時間を合わせて出かけた。
「サンライズ」は大型ホテルらしい数百人は入れるホールで
バイキングの種類も量もかなりのものだった。
絶好の観光地だけに集客力が段違いに強い。
グロの刺し身やその他で大満足で大満腹でした。
明日の朝は本館 フロント前に7:45に集合
第1日
アルバム
 
 第2日

9月24日:
朝早くから忘帰洞のお風呂に入った。
昨夜は遅かったので当たりの景色が分からなかったが
今朝はほんとに感激した!
まず洞窟から水平線が見え・・・波の打ち返す音・・・
音響が洞窟に響く・・・これが身体に伝わる・・・
ドドン・・・ズズ・・・ドドン・・・ズズ・・・
これの繰り返し・・・
更に気持ちのよい風が身体を通り抜けて行く。
遠くの雲のたなびく合間から茜色の帯が見える。
ほんとに気持ちのよい朝風呂だった。
朝食は・・・レストラン龍宮・・・
ここはホテルの最大のバイキングホールで
ここも数百人は入れそう。
和食・洋食・・・果物・飲み物など朝から満腹でした。
* 7:40分集合 7:45 乗船
 8:00 バススタート
街を抜けるとすぐに那智の滝 に着いた・・・ 
http://kumano-guide.com/midokoro/midokoro.html#taki

*那智の滝 


日本三名瀑の一つ。
烏帽子岳に端を発し、数本の支流をあわせ駆け下る那智川水系に架かる60余の滝のうち
一番大きなもので、 熊野カルデラと呼ばれ1400年前に噴火したと言われる
火山活動の形骸により形成された地形にできた滝で、
落差133mの日本一の高さを誇ります。
 俗に四十八滝といわれるのは瀧篭修行の行場として扱われた滝に由来しており、
この滝は「一の滝」と呼ばれました。
★再びバスに乗り、5~10分程度で那智大社 ・青岸渡寺 のお参り
なりの階段がある。
http://kumano-guide.com/midokoro/midokoro.html

二の鳥居まで470段、拝殿の三段を足して473段の階段を上りきると、
那智大社の本殿へお参りできます。
(467段と記載されているガイドブックも有りますが、本当のところは何段なのかは未調査です)

お参りして;
9:35頃 バス出発・・・
1時間程度で 熊野大社 お参り~11:30まで
高野山
高野山へはバスで2時間30分位だったと思う。
那智から一旦本宮まで戻り熊野街道
十津川龍神スカイライン高野山
のルートの様だ。
途中・・・
13:05 頃 龍神ドライブインでトイレ休憩。
高野山到着の後、一の橋表参道から奥の院へ向かう。
途中には各企業の供養塔が立ち並ぶ。






新明和のロケットやUCCのコーヒーカップ、その他の有名企業も・・・
その奥の墓所には戦国時代の武将の墓が続く。
豊臣家:織田信長:などなど。

http://enosan.blog.so-net.ne.jp/2007-11-14

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高野山は言うまでもなく・・・
空海・弘法大師の開いた高野山真言宗の 総本山金剛峯寺。
【金剛峯寺】

寺院群の東端にある一の橋から二の橋を経て御廟橋まで、
2キロにわたる参道沿いに無数の石塔が立ち並ぶ。
御廟橋を渡ると空海入定の地とされる奥の院である。
一番奥には空海が今も瞑想されている御廟があり、
その手前には信者が供えた無数の灯明がゆらめく燈篭堂がある。
空海は62歳の時、座禅を組み、手には大日如来の印を組んだまま永遠の悟りの世界に入り、
今も高野山奥の院で生きていると信じている人もいる。
「死去」「入寂」「寂滅」などといわず「入定」というのはそのためである。

御廟橋

奥之院弘法大師御廟(ごびょう)に一番近い橋を「御廟橋」といい、
「ごびょうのはし」とは読まず、どういうわけか古来より「みみょうのはし」と呼んでいます。
又の名を「無名橋」とか「無明橋」と書いて「むみょうのはし」と言う場合もありますが、
本来は、「御廟橋(みみようのはし)」のようです。
 御廟橋の敷板石数は36枚ありまして、
それぞれに金剛界曼荼羅1461尊の内の代表37尊の諸仏諸菩薩の
象徴、種子(しゅじ)というものが梵字で板裏に彫られています。
板数が一枚足らないのは橋全体を一つと見ているからだと言われています。
これに対して、胎蔵界は何処に当たるのかといいますと、大伽藍が胎蔵界だというのです。

弘法大師御廟(国史跡史蹟)。
燈篭堂は仏教寺院には珍しい拝殿の形を持ち、その最奥部に弘法大師廟が祀られている。

燈籠堂(とうろうどう)。
この裏にあるのが御廟でした。
http://www.flow-stock.com/jisya-kinki/koyasandanokunoin.html

奥の院からの帰路に英霊廟にお参りした。
★世界大戦・英霊廟:英霊供養堂忠霊殿
二次世界大戦で犠牲になった方々には心から哀悼の気持ちが湧いてくる。
身内にも犠牲者が居るし、父母が戦った戦中・戦後の苦しい生活を思い出す。
心がスッキリ洗われた様な気分になった後、中の橋に戻った。
15:50 高野山のおみやげ店に案内される。
幾つかお土産を買った後・・・ケーブルで極楽橋駅まで
ここから16:50発の特急で,なんば駅着18:10
その後は途中で夕食を取って帰宅した。

 第2日
アルバム